伊奈忠次ゆかりのお寺
佛棟山源長寺
伊那忠次ゆかりのお寺 佛棟山 源長寺
源長寺を
知る・学ぶ

知る

学ぶ

源長寺の歴史〜開基・伊奈忠次(いなただつぐ)公〜

〇 源長寺の縁起

当寺は、お寺の系列から見ると道元禅師の永平寺(越前国・福井県)、瑩山禅師の総持寺(能登半島門前、のち明治44年鶴見に移転)-最乗寺(南足柄市)-東昌寺(茨城県五霞町)-宝祥寺(新宿若松町)と次第、末寺である源長寺に至ります。

江戸時代のはじめに成立したと考えられます。開山(初代住職)は宝祥寺から招かれた天光大補(てんこうだいほ)大和尚です。

〇 開山(かいさん) 天光大補大和尚(てんこうだいほだいおしょう)

開山(初代住職)の天光大補は元和9年(1623)に神龍寺(茨城県土浦市)に11世住職をつとめ、寛永元年(1624)に東昌寺(茨城県猿島郡五霞町)16世住職をつとめました。

同九年(1632)、既に亡くなっていた東昌寺13世奪康伝与大和尚に代わり、大雄山最乗寺(神奈川県南足柄市)に輪住(一年交代で末寺の住職が住持を勤める制度)しています。
同11年(1634)には東昌寺を退院し、同16年(1639)6月2日に寂しています。
おそらく東昌寺の住職になる前に、宝祥寺に住職したのち、源長寺の開山になったと考えられます。
なお、東昌寺時代に出した直筆の書状が永平寺に残されています。書状の内容は、「現在江戸の宝祥寺の住職である泰奕は自分の法孫である。泰奕が永平寺への出世(一夜住職)を望んでいるので、朝廷からの綸旨(永平寺住職の辞令)が出るように、仲介役の観修寺家に依頼してほしい。」というものでした(『永平寺史料全書』文書編 巻一編纂委員長 廣瀨良弘)。

〇 開基 関東代官頭筆頭 伊奈備前守忠次公の功績

伊奈忠次(1550~1610)は、天文十九年(1550)三河国小島(愛知県西尾市)に生まれ、幼名を熊蔵、通称は半左衛門、のちに備前守の官位を受けています。
彼の行った検地(土地測量)を備前検地(びぜんけんち)、土木工事を備前渠用水(びぜんきょようすい)、備前堀(びぜんほり)、備前堤(びぜんつつみ)などと称されるほどの人物です。

忠次ははじめ家康に仕え、ついで、その長男の信康に仕えました。織田信長の意向で信康は切腹し、忠次は家康から一時離れましたがまもなく帰参します。帰参後、忠次は徳川家康に重んじられ、領国の検地(土地測量)で活躍し、備前検地と称されました。小室(埼玉県北足立郡伊奈町)及び鴻巣に約一万石を与えられ、関ヶ原の戦では兵糧米調達を指揮し、功績を立てています。その後も代官頭の筆頭を務め、検地や新田開発、利根川や荒川の付替工事にも着手しています。なお、利根川東遷事業は次男の忠治に受け継がれました。
慶長15(1610)年6月13日に61歳で没しました。伊奈町小室には伊奈氏屋敷跡が残され、墓所は勝願寺(鴻巣市本町、浄土宗)にあります。

なお次男の忠治が赤山(川口市)に陣屋を構えていたため赤山にも源長寺(浄土宗)が創建されています。また、千住仲町を開発した石出吉胤は伊奈忠次を讃えて開基とし、源長寺(浄土宗)を創建しています。

〇 源長寺の本堂

旧本堂は関東大震災(1923)の前年に創建され、大門は倒壊したものの、本堂は無事でした。しかし、90年後の東日本大震災(2011)では壁に損傷を受けたため、住職廣瀨良弘・岡田秀夫建設委員長をはじめとした80余名の檀信徒・有志者により、新築の計画が進められました。

新築工事は、安土城天守閣復元・鹿児島鶴丸城御楼門(ごろうもん)復元の施工を行った宮大工の亀山建設(岐阜県関市)により、行われました。裏木曽の檜(一部に欅・米松など)を用い、平成27年(2015)に新築されました。

亀山建設HPはこちら:http://www.e-kameyama.jp/

〇 源長寺の地蔵堂

地蔵堂に安産子育地蔵が安置されています。江戸期の『新編武蔵風土記稿』には本尊として記載されていますが、別置の誤りだと考えられます。

源長寺の境内
を散歩する
本堂
有名な「木曽の檜」が育つ西側の地域(東濃)で育った「裏木曽」と呼ばれた檜を主に使い、2015年に新築されました。
地蔵堂・安産子育地蔵尊
古くから源長寺には地蔵堂があり安産子育地蔵尊を大切にお祀りしてまいりました。安産、子育、水子供養、五穀豊熟、家内安全、等の心願成就のご利益があります。
源長寺案内地蔵
愛らしいお顔の案内地蔵です。
永代供養塔
五輪塔の形をした永代供養塔です。日本では平安時代から見られる伝統的な塔形をしております。五輪の地水火風空の文字は道元禅師の著作である『正法眼蔵』の中から取りました。
墓地
晴れた日には富士山が見える墓地です。どなたでもご使用になれます。ご相談ください。
駐車場
60台ほどの乗用車が駐車可能です。
交通案内
源長寺の活動

ごあいさつ

はじめまして。
当寺は佛棟山源長寺(ぶっとうざん げんちょうじ)と申しまして、伊奈忠次開基の曹洞宗のお寺でございます。
1610年頃から、安政江戸地震・関東大震災・東日本大震災など様々な災害を乗り越えてきた当寺でしたが、檀信徒・有志の皆様のご協力のもと、強度ともに大変優れた裏木曽の檜を用いて、宮大工亀山建設の手により、本堂を新築することが出来ました。ご協力誠に感謝申し上げます。
古くから信仰の場所として皆様にささえられ、現在まで続いてきておりますことに感謝しております。 これからも皆様の憩いの信仰の場であり続けていきたいと感じております。
葬儀・ご法要・永代供養・開眼供養など、なにかわからないことがございましたら当寺に(源長寺電話番号:0480-38-2771)に電話相談ください。    

源長寺

年間予定

永代供養塔

五輪塔の形をした永代供養塔です。日本では平安時代から見られる伝統的な塔形であります。石板にお名前を刻みご納骨ができます。分骨のご納骨もできます。ご納骨されてから、お盆・お彼岸には合同供養を必ず行います。「お墓を継ぐ人がいない」「亡くなられた方の愛した土地にお墓をつくりたいがお参りする方が遠方に住んでおりなかなか管理が難しい方」など、どなたでもご使用になれます。法要は当寺が責任をもって執り行います。お電話にてお問い合わせください。(源長寺電話番号:0480-38-2771)

墓地

曹洞宗のお寺ですが、村墓として古くから皆様に使用していただいております。宗派を問わずご使用いただけます。
お墓に関する事でしたら、どのようなことでも、ご相談にお乗りいたします。

■ 山下石材店
住所:345‐0024 埼玉県北葛飾郡杉戸町堤根1565-1
電話番号:0480-35-2206

ご葬儀

お通夜・葬儀・初七日を承ります。お寺での葬儀だけでなく葬儀場・斎場などの出張でのご葬儀も承ります。

ご法要

法要とは、仏様となった故人を偲び、ご冥福をお祈りし、供養する行事です。また、故人様が繋げてくださったご縁に改めて感謝し、自分自身を見つめ直す機会でもあります。仏となった故人様・ご先祖様はきっと皆様を見守って下さり、勇気を与えて下さいます。

法要は一般的には一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌と続き三十三回忌もしくは五十回忌をもって弔い上げとし、締めくくりとします。

当寺にて法要を勤修することもできますし、お宅の御仏壇前での法要・開眼供養(たましい入れ)も承っております。法要に関してご要望がございましたら柔軟に対応いたしますので、ご相談ください。

※ また、法要を行う前、 お布施についてご相談をよくお受けいたします。

お布施の精神とは「自らの力をわかつなり」と申しまして、自分の持つ力を相手に分けることです。またご供養に関することですので、「お布施が安くすんでよかった」とも「高すぎた」とも思わない程度が良いと言われております。

とはいえ、ある程度の目安が古来よりあったといわれ、地域の寺の総代や世話人・常識ある古老がそういったことに精通しており、相談して寺に納めるのが当たり前でした。

しかし昨今は、そうした御縁が徐々に薄れてきている面もあり、初めてのご供養の方も増えてきたため、法要のお布施を目安として示します。

特別な戒名や戒名がない方は、お気軽にご相談ください。今回、ある程度の目安も公開することにより、どなたでも、ぜひ寺院本堂で供養していただき、ご縁を結んでいただきたいと考えています。

当寺院では、法要のお布施は3万円〜10万円が目安です。ただ5万円をお持ちになる方がよくいらっしゃいます。また、新盆法要の目安は2万円前後となっております。

しかしお布施はあくまで目安であり、お気持ちで頂いております。出来る範囲でかまいませんのでご安心ください。